機能安全と安全工学
今朝のNHK番組「心の時代」に大先生が出演された。日頃から先生の著作は読ませて頂いていたので、大変興味深く拝聴した。大先生の所説にコメントを加えることなど、もし小生が京都の人間なら即追放を意味するであろう。しかし幸いなことに大岡山では大先生といえども批判免除の特権はあり得ない。
さて番組後の感想を端的に表現すれば、戦中から戦後へかけて日本の哲学者はドイツ観念論と如何に熾烈な格闘をしてきたか、ということである。そして最後はご出身の東北文化圏である宮沢賢治の世界へ安住の世界を見出してゆく。欠けている視点と言えば、ヘブライからギリシャ〜ローマ文明への鳥瞰である。更に哲学者の眼からみれば神も仏も同類で、キリスト教も仏教で代替できるという幻想があるみたいだ。
� ��くの面で共感できる面があるにも拘らず、一方で脱文明というのは単純すぎる。創世記にも書かれているように、一度「知恵の果実」を食べてしまった人類は楽園から追放され、永遠に苦しむことになる。次節でどのような知恵の果実を食べてしまったのか、説明する。
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2. ボルタやノーベルは犯罪者か?
伊半島北部のコモ湖畔に電池の発明者ボルタの記念館がある。小さな記念館だが、ボルタが実験につかった静電気発生装置や蓄電池の模型が当時其の儘に展示されている。ここを訪れたアインシュタインはひどく感激して寄せ書きを残しているが、「この単純な発見が今日の電気文明の始まりであった」と。
その単純な発見とは「電気は電流と電圧とから成り立つ」という幼稚な知見である。静電気という一つの現象を恣意的に2つの量に分離したことは人間の作為であって、その新しい理解が今日の電気文明の始まりとなった。これも文明の一種であってケシカランと怒っても一度知ってしまったことを忘れろといっても無理である。
また近代戦争で死傷者が急激に増大したのは火薬の発明による所が大きい。火薬工場さえ廃止にすれば残虐な殺しあいもなくなるだろう、という主張は確かにある。しかし火薬は土木工事にも大変役立っており、製造中止の法律を作ることはできない。一度手にいれてしまった知識をゼロにすることなど不可能である。
その延長線上にキューリー夫妻の業績がある。彼女が放射性物質の存在を発見しなければ原爆はあり得なかったのは確かであるが、不幸にしてその知恵の果実を食べてしまったのも現実である。
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3. 回帰か進化(Evolve)かの二つの思想
さて日本では脱文明論へ共感する方は多いであろう。とは言え米国土着のインディアン文化もアイヌ文化も人間の憩いの場としては素晴らしいものであるが、しかし政治体制の異なる隣国に囲まれて生きてゆくには余りにも平和的過ぎる。人間はいかなる時代においてもaggressive であって、油断がならない。
さて昔へ還れないとすれば我々の次の時代へ移行するにはどういう舵取りをすべきであろうか?
本年1月だったか、米国格付け会社がEU主要国国債の信用度を引き下げた。これに関連して主要紙がユーロ破綻の可能性を盛んに警告した。小生はそんなことは到底あり得ないと思っていた。当時は考えやすいEU安全保障の観点からこの洞察を導きだしたが、別の事実はEU域内での企業の合併や、合弁会社が成熟しつつあり、いまさらマルク、フラン、リラに戻るにはコスト的にもあり得ないことだった。
更に根本的な理由として戦後65年以上にわたり欧州全土で「欧州は一つ」と子供達を教育してきた努力が、単に通貨だけの問題で水泡に帰す等ということは歴史を照らせば全くあり得ないと結論した。
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4. 欧州の源流とは何か
日本では重大な失敗がある度に回帰の思想が現れるのには前から注目していた。それには時間(時代)の尺度である暦や年号の取り方が大きく影響している、と見る。キリスト教文化圏ではBC とそれ以降のAD(Anno Domino)とをはっきりと分けるが、その歴史的な理解として旧約(BC)の時代では神は自ら語ったが、新約では神は御子の口を通して語られた(ローマ書)、と書かれている。この世界観の確証としてローマの古代遺跡が保存されており、我々が決して歴史を忘れた時間軸の中では生きられないことを教えている。つまり歴史は決して後戻りしないものだ。確かに欧州ではフランス革命以降、ウイーン会議、国際同盟、国際連合と国際間の取り決めは過去の過ちから学んでおり、逆行というプロセスは考えに難い。
EUの発展過程をみれば独仏紛争の発端は国境地帯の鉄鋼資源の利権争いが関係した。そこでこの紛争の種を共同開発で無くそうということからEC が結成された。端的にいえば今次大戦への反省がEU結成の出発点になっている。その延長線上に今日の通貨統合がある。それほど軽々しく通貨統合を破棄する筈がない。フランス首相は米国格付け会社の勝手な評価に対して「大きなお節介」だと不快感を示した。大西洋の向こう側から何を言うかの意気込みだろう。
日本国民は時代のEvolve に対して余り自信がないように見える。現実的な目標が見えないから米国の後を追っていけば、歴史の発展に乗り遅れることはないだろう、という臆病なスタンスだ。しかし日本では、西洋暦は便利だから使っているが、キリスト教的歴史観を其の儘受容している訳ではない。
5. 事故調報告は花盛り
今、様々な原発事故の反省が出されているが、年配の方はドイツ観念論的な政府悪人論で切って捨てている。若い世代は部分的な改善論が多数であって、核心的なことがよく判らない。しかし一度食べてしまった知恵の果実を元へ戻すことなど出来ない。原発を廃炉にするのは結構であるが、全く生産性のない仕事を永年にわたって継続するには相当の国力が必要であろう。
昔バチカン美術館でミケランジェロの絵の修復作業に一生を捧げているマエストロが紹介されたが、廃炉作業を継続するにはそれ以上の根気と時代観がないと勤まらない。今後は哲学者も歴史学者も日本文化の源流と、一体これからどこへ行こうとするのか、そういう研究の成果で我々を導いて貰いたいものである。
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