2012年5月12日土曜日

音楽 Archive - 幻泉館日録


穴沢ジョージさんのHPに、クリフ・リチャードが歌ってヒットしたという"Let's Make a Memory"(1962年)の歌詞と日本語訳が掲載されていた。
この歌はまったく知らないのだけれど、きれいで素敵な歌詞です。

それで「日本語とロック」という問題を思い出しました。
翻訳の問題ではなくて、日本語によるロックは可能かという問い掛けです。
何をばかなことを言ってるんだと思われるでしょうね。
でも、そういう論争があったのですよ。

1971年、雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン」の「日本のロック賞」が直接的なきっかけ。
『はっぴいえんど』を始めとする日本語でロックを歌っているアルバムに高い評価を与えた。
これにシェケナベイベ内田裕也大人が異を唱えたのである。
論争そのもについてはgoogleで[ 日本語 ロック 論争]とでも検索していただけば、いくらでもヒットするだろう。

今や「はっぴいえんど史観」とも呼べるような日本ロック史が語られるほど、圧倒的に松本隆さんたちが勝利したように見えます。
はっぴいえんどの四人が日本の歌謡曲界で大活躍をしたからです。
本当は、コトはそんなに簡単ではないんじゃないかと、私は夜中にぐるぐるへろへろ考えました。

鶴見俊輔さんに言わせれば「誤解は創造の母である」そうなので、こんな想像でも少しは創造の役に立つこともあるのかもしれません。



どうして林檎好きなのか、よく聞かれます。
ええ、林檎好きなんです。
椎名林檎ですよ。
最初は林檎モドキとか言われた矢井田瞳も結構好きです。

「なぜなのかよくわからない」がその答えだったんですが、最近ふと気づきました。
あの子たち、高校生ぐらいの時に絶対「ギター少女」だった。
それで私は好感を持ってるんじゃないかしら。

ギターの音が大好きで、一所懸命ギターの練習をして、そして自分の言葉をそのままぶつけて歌を作った。
本当にそうなのかどうか知りませんよ。
でも、少なくともデビューしてしばらくの間は、絶対そうだと思わせる人たちでした。


大恐慌は人々に何をした

その矢井田瞳、ヤイコがトレーシー・チャップマンの"fast car"を歌っています。
この曲はたぶんギターを一所懸命弾き始めた矢井田瞳が、何度も繰り返して練習した曲だと思います。
そしてプロになって、その曲に自分で詞を付けて歌う。
いいなあ。
ボブ・ディランの"I Shall Be Released"っていろんな訳詞があるけど、アタシだって自分で詞を付けて歌ってみたいもんなあ。

ビートの利いた曲よりも、トレーシーの弾き語りのような静かな曲の方が、詞そのものの持っているリズムがわかりやすい。
ヤイコはかなり健闘しているのだが、日本語はやっぱり「洋楽」に乗りにくいというのが丸見えになってるような気がします。

タモリの密室芸に、「外国人が聞いた日本語」というのがありました。
のんべんだらりと発声して、時々「どうもどうも」と入れる。
もっと強く抑揚をつけて、ちょっと粘着質にして時々「コスミダ」と入れると朝鮮語になるのかな。

この逆をやってみようか。
日本語の歌を、なるべく意味が頭に入らないようにして、音だけ聞く。
これはかなり難しいです。
難しいのですが、英語(っつうかアメリカ語)の時に聞こえるコトバのリズムが乏しいですね。

え?、私の好きな歌です。

 ♪ 遊びをせんとや 生まれけむ
 ♪ 戯れせんとや 生まれけむ
 ♪ 遊ぶ子どもの 声きけば
 ♪ わが身さへこそ ゆるがるれ

ご存知のように、『梁塵秘抄』にある今様です。
「遊び」は「遊女」との説もあるのですが、ごく素直に、無心に遊ぶ子どもの姿を歌ったと考えた方が深いと思います。
水木しげるさんの「人は子供時代を生きるために生まれてくるのだ」に似ていますね。

この『梁塵秘抄』なる書物をまとめたのが後白河法皇。

1156年保元の乱では崇徳上皇方を破る。譲位後院政を行い、五代30年に及ぶ。
1160年平治の乱では二条天皇の親政派を排除し、平氏の台頭を招く。
1177年平清盛により院政を停止され鳥羽殿に幽閉される。
清盛が没すると 源氏を用い平氏を排除する。
亡くなったのは、誰でも覚えている「1192作ろう鎌倉幕府」の年です。
すごいですね。
王朝時代の最後を飾った権謀術数の大政治家、というイメージですな。
源頼朝をして、 「日本国第一の大天狗」と言わしめます。


ラトガーズ大学の発熱

この人は本当に今様が大好きだったようで、白拍子や遊女(あそび)、傀儡子(くぐつ)と呼ばれた芸人達と差しで取材したりしていたそうです。
まあ、取材といっても要するに独唱を鑑賞するわけです。

「今様」は七五調の定型詞で、自分で打楽器の演奏を付けながら歌ったようです。
ようですとあいまいな言い方をしているのは、楽譜のようなものが一切残っていないからです。
ソングブックなのに楽譜が残っていないのは不思議ですが、それは西洋音楽に慣れてしまった目で見るからかもしれません。
つまり、後白河法皇の時代は歌詞さえあれば、今様ソングブックとして必要十分な情報であったのではないでしょうか。

英語のpoemやpoetryやlyricに「詩」という字を当てるので、英語の詩は日本語の詩に相当するような気がしますが、ちょっと考えただけでも、その「詩」のありかたはだいぶ違うようです。
英語の世界では、韻を踏んでいないと詩になりません。
ディラン(Bob Dylan)やビートルズ(Lennon & McCartney)のヒットソングを考えてみてください。
しっかり韻を踏んで、「詩」の体裁を整えています。

なおかつ、英語の各語句には固有のリズムが決まっています。
センター試験なんかで「この単語はどこを強く読みますか?」という問題を見たことがありますね。
つまり、語句を選び出すことで、自動的にその詩のリズムを作り出しているのです。
一応文のイントネーションもあるのですが、それで旋律を決定できるほどの拘束力はありません。

西洋音楽の平均律、ピアノのような楽器で音を確定できるような音楽では、一つ一つの音の高さが整数で定義できるようにキチンと確定できるようにしなければなりません。
ハーモニーも数学的に確定されます。
そのために、キチンとした楽譜が必要になるわけです。

いっぽう日本語の「詩」は、韻が不要です。
漢詩に脚韻があるとおっしゃるかもしれませんが、あれは元の中国語の段階での韻です。
日本語で読み下している時に、脚韻は発生しません。

やまとことばの「うた」には定型詩が存在します。
その定型は、音の数ですね。
「今様」は七五調でした。
これだけが制約です。


大恐慌のフォトエッセイ

言葉を選んでも、新しいリズムを作り出すことはできません。
でも、言葉を選ぶと、メロディが発生します。
日本語の単語は固有の強勢を持ちませんが、「アクセント」と呼ばれる固有のイントネーションを持っています。
「箸」や「端」や「橋」を言い分け、聞き分けるアレです。
つまり、言葉を選ぶとある程度メロディに制約がかかるわけです。

 ♪ゆうや?け こやけ?の? あかと?ん?ぼ?♪

こう歌った時に抵抗ありませんでしたか?
これは話し言葉で出てくる「赤とんぼ」のイントネーションと、この曲のメロディが矛盾しているからです。
私が好きだった竹谷英子さんというアナウンサーは「あかとんぼ」を、この歌のイントネーションで発声していました。
アナウンサーとしてはどうかと思うのですが、彼女の場合はそれでかえってとても温かい感じがしました。

もちろん地域によってイントネーションはだいぶ違いますし、北関東の方ではイントネーションが存在しなかったりするので、昔の「くに」レベルでの了解事項でしょうね。

仏教に声明や読経があります。
これは、中世以降に生まれた日本の仏教音楽です。
ウチは浄土真宗なので、正信渇、念仏、和讃なんてのもなじみが深いです。
楽譜に残すようなメロディーがありません。
「ゝ」とか「?」みたいなアバウトな記号を付けるぐらいです。
ところが、平均律の世界から完全に外れたそれぞれの声が重なって、かなり気持ちのいいハーモニーを作り出します。

「アメージング・グレース」(Amazing Grace)という古い賛美歌→黒人霊歌があります。
無伴奏が似あうでしょ?
読経との相性がいいです。
平均律をはみ出した、人間の肉声の重層的なハーモニーが「ア・カペラ(礼拝堂風に)」の本質なんでしょうね。

日本語は他の言語に比べて音の種類が極端に少ないので、本来脚韻などは作りやすいはずです。
でも、音にリズムがないので、どんなに音の種類を揃えても、べったら漬けになっちゃいます。
他言語から見ると棒読みに近いので、他言語のような韻は効果が感じられないのです。
そこで、日本語による定型詩は非常に例外的に(たぶんね)、音節の数によって定型のリズムを作り出すことにしたのです。


日本語で歌うゴスペルが鼻歌になってしまうのは、歌い手さんのボイストレーニングが足りないだけではなく、日本語の持っている特性が一因でもあるのでしょう。
(今、鼻歌と並べてお経と書こうとしたのだが、ちゃんとした読経はきれいな音楽になってるので削除しました。)
じゃ、英語(米語)で歌えばいいのかというと、そんなに甘くない。
英語を日本語のように発声しているので、鼻歌べったら漬けになってしまうことに変わりはないのです。
いくら「L」や「R」がきれいに発音できても、詞そのものが持つリズムを反映していないと、日本語で歌ってるみたいなのですよ。

ジャズのスタンダードナンバーって、元々は歌詞の付いた歌であることが多いですね。
トランペットやサックスが、その主旋律を歌ったりしますが、元の言葉がわかっていないと、とんでもないところで息継ぎをしてしまうということがありました。
(今はどうなのか知りません。30年ほど前の話ね。)
舟木一夫さんが自殺未遂をした時、ポップスを歌わされるのがつらかったという話をしていました。
自分が歌謡曲の歌手であるということがよくわかっていたのです。
いくら練習をしても、歌うと歌謡曲になってしまうのです。
それで良かったのにね。
今の歌手は歌謡曲を歌っているのに、平気でゴスペルとか言っちゃいます。

そういえば去年の初夏、ずいぶんひさしぶりに母校のんびり東高校の文化祭を見てきました。
もう、ステージはアカペラ一色。
かっこ悪?っと思ったのですが、さらにつらかったのは、いわゆるボイパが多かったことです。
ボイス・パーカッションっすね。
どうせマイクやアンプの手助けがなければできないんだから、楽器弾きながら歌えばいいのにと、おばさんみたいなおじさんは思いました♪




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