スピリチュアル・ヒーリング(心霊治療)とホリスティック医学
「霊的エネルギー循環システム」の異常と病気の発生
スピリチュアル・ヒーリングにおける"病気の定義"は――「人間を構成する5つの要素がアンバランスの状態になること、不調和の状態に陥ること」です。身体の異常は、霊・霊の心(霊的意識)・霊体・本能・肉体という身体構成要素の全体的なアンバランス・不調和状態によって生じるものなのです。
現代医学では、病気といえば目に見える肉体の異常だけを指しますが、スピリチュアル・ヒーリングでは、肉体の病気は単に肉体レベルだけの現象ではなく、上位の身体構成要素(霊・霊的意識・霊体)レベルでの異常さが、結果として肉体に現れたものと考えます。全身を統括する「霊的エネルギー循環システム」が正常に機能しないことで、肉体の異常が引き起こされると考えるのです。肉体の異常に先立って、霊・霊的意識・霊体といった上位レベルでは、すでに異常が発生しているということです。
霊的エネルギー取り入れの大問題
――「霊的エネルギー循環システム」の第一歩からのつまずき
ここで、「霊的エネルギー循環システム」を異常にする阻害要因について見ていくことにします。「霊的エネルギー循環システム」の第一歩は、「霊」が環境中に充満する霊的エネルギーを取り入れることから始まります。ところが現代人の多くが、この肝心な第一歩の段階で、すでに根本的な問題を発生させているのです。
人間は、霊と霊的意識・霊体という霊的要素を有する「霊的存在」ですが、そうした霊的要素を健全に機能させるには、常に一定量の「霊的エネルギー」が必要となります。肉体の生理機能の維持に、カロリー源となる食べ物が要求されるのと同じです。しかし現実には、大半の人々は霊的エネルギーを取り入れることができなくなっています。そして霊的エネルギーの枯渇状態を引き起こしています。
その原因は、人々が物質主義一色に染まり、物質的な利益や本能的な快楽にしか関心を向けなくなっているためです。物質欲と肉体本能への異常な指向性が、霊的要素のすべてを物質の檻の中に閉じ込めることになり、霊的エネルギーが入ってくる道を自ら遮断してしまうのです。また現代社会を支配する物質文明から派生する不安感や恐怖・ストレスも、霊的エネルギーを取り入れる通路を閉ざしてしまいます。さらに現代人は、自然との触れ合いが極端に減少し、自然界から霊的エネルギーを受けられなくなっています。
肉体という物質に包まれた人間は、意識的に霊的エネルギーを補充しないかぎり、それを枯渇させることになります。霊的存在として造られている人間にとって、霊的エネルギーの摂取は、毎日の食事のように不可欠なものなのです。意識的に霊的エネルギーを取り入れることが、どうしても必要なのです。
祈りや瞑想は、霊的エネルギーを取り入れるための効果的な方法です。祈りや瞑想は、宗教を信じる人間においてのみ必要とされるのではなく、誰にとっても欠かすことができないものなのです。
残念ながら現代人の中で、意識的に霊的エネルギーを取り入れようとしている人はほとんどいません。そのため大半の人々は、霊的生命活動に必須の霊的エネルギーを枯渇させることになっています。もっと深刻な問題は、現実には霊的エネルギーに飢え乾いていながら、その事実にさえ気づいていないということなのです。
*「禁欲生活の意義」と「霊主肉従の生活」
禁欲生活というと現代人は、堅苦しい修行と考えがちです。古来より宗教では禁欲生活が勧められ、信仰の重要な実践項目になってきました。禁欲の内容は宗教によってさまざまですが、禁欲生活はもともと物質欲や本能の欲求に一定の歯止めをかけ、霊的要素が物質(肉体)に閉じ込められないようにするための手段なのです。
人間には、本来こうした意味でのある種の禁欲性が必要なのです。物欲に流されず、心身を清らかに保つ清貧の生活は、その人間に多くの霊的エネルギーをもたらすようになります。しかし現在では大半の宗教から禁欲の本来的な意義が失われ、形式的で無意味な禁欲的修行が行われているのが実情です。
霊的要素が物質(肉)的要素をリードする立場にあること、すなわち霊的要素が物質的要素に対して優位の状態にあることが「霊主肉従」です。反対に物質的要素が霊的要素を支配し優位に立つ状態が「肉主霊従」です。
"禁欲"とは一言で言えば――「肉主霊従」に偏りがちな生活を「霊主肉従」の状態に戻すための手段なのです。現代人の大半は、ほぼ例外なく「肉主霊従」の状態に陥っています。そのために、霊的エネルギーを取り入れることができないのです。現代人の病気の一番の原因は、実はこの「肉主霊従」にあるのです。